漂書

ぼちぼちと、ゆるゆると

命の重さ

「クライマーズ・ハイ」を読みました。 その中で、ハッとさせられる部分がありました。 引用します。

投稿欄の常連が綴る遺族への同情。想像しただけで悠木は憂鬱な気分になった。常連が悪いと言っているのではない。彼らこそが新聞の最たる理解者であり、頼もしい支援者でもある。しかし、その一部に<<たち>>の悪い<<やから>>が混じっていることもまた確かなのだ。

彼らは何かに憤ったり感じ入ったからペンを執るのではない。常にペンを握りしめ、鵜の目鷹の目で「書く材料」を探している。借り物の意見と文章を駆使して、すべての事実を「愛」と「正義」で括ってみせる。

これって。 いまの、Bloggerそのものじゃないか? そう、思ったのです。 陳腐な感想かもしれない。けれど、そう思ったのですよ。 本当に衝撃でした。しばらく、次の頁を捲れないほどに。 自分は、知らないうちに、そうなっていたのではないか。 あれほど嫌悪しているワイドショーと、同じ事をしてるんじゃないか。 そう思ったら、かなり深く凹んでしまったのです。 そしてもう一つ。

命の重さ。

どの命も等価だと口先で言いつつ、メディアが人を選別し、等級化し、命の思い軽いを決めつけ、その価値を世の中に押しつけてきた。

偉い人の死。そうでない人の死。

可哀想な死に方。そうでない死に方。

<<私の父や従兄弟の死に泣いてくれなかった人のために、私は泣きません。たとえそれが、世界最大の悲惨な事故で亡くなった方々のためであっても。>>

これまた陳腐な感想かもしれませんが、パッと思ったのはTHE YELLOW MONKEYのJAMでした。 曲を初めて聞いた時と、まったく同質の衝撃を受けました。 ネットが登場してから、情報消費の速度は、どんどん増しています。 事件はぱっと一瞬で燃え上がって、そしてあっという間に薄れていきます。 世間を騒がせたはずの出来事ですらも、半年もすれば、話題にも上らなくなる。 けれど、当事者にとっては、いつまでも鮮やかなままなのです。 その記憶を胸に刻まれ、忘れることが出来ないまま、日々を過ごしている。 それを忘れてはいけない、と思いました。 ただ、深く思いました。 時には立ち止まって、過ぎ去っていった景色を思い返す瞬間があってもいい。 いや、そういう瞬間を、意識して持つ必要がある、そう思いました。 本当に、この本は名著だなぁと思います。 考えさせられる事柄が、沢山ありました。