漂書

ぼちぼちと、ゆるゆると

NHKスペシャル「ヤクザマネー」

観ていて、背筋に寒気が走りっぱなしでした。 これは、怖い。マジで怖い。 NHKスペシャル「ヤクザマネー ~社会を蝕(むしば)む闇の資金~」 NHKのdocumentaryは、ほんと質が高い。 この取材力は凄まじいものがありますね。 これが、資本主義の本質でもあるのですよね。 だから余計に怖いのです。 この動きを否定すれば、現代社会そのものが否定される事に繋がってしまう。 個人的には、いまの資本主義なんて崩れてしまえ、と思っているのですが。 結局のところ、かつての歴史を繰り返しているだけ。 そこに需要があるからこそ、入り込んでくる隙間となるわけで。 力が無いものは、力のある者に頼るという構図は変わっていない。 のあり方が変わる。それは、時代の変遷そのものです。 暴力という分かり易い形のうちなら、取り締まる事も出来た。 けれど、カネそのものがとなってしまうと、取り締まるのは難しい。 なぜなら、カネには個性が無く、あくまでも道具、そして尺度に過ぎないから。 そのものではなく、その使われ方に問題がある場合、見極める事は出来ないです。 使われる対象なら、まだなんとかなる。けれど対象ですらない。 さらに言えば、そもそも問題にすらならないのですよ。 誰が、なんのために使おうが、カネの資質にはなんの影響もない。 もし影響があるのなら、その方がよっぽど問題です。 力こそ正義というのが、社会の本質です。身も蓋もないですけれど。 時代が進むに連れ、貨幣へと、その姿を変えています。 かつては、力≒貨幣だったのが、力=貨幣へと近づいてきているのです。 そういう前提であるのなら、国家が取るべき方法は一つしかないはず。 国家は、社会的な重心として成立していなくてはならない。 力に対抗出来るのは、それ以上の力しか有り得ないのですから。 理念や正義で押さえられるなんてのは、ただの夢物語でしかない。 けれど、重心となり得る部分を手放していった結果が、現在だと思います。 国の仕事とは、弱き者を救済することであるはずです。 国家という共同体の運用は、今となっては、その二次的な要素に過ぎないはず。 領民を食べさせることが、領主の存在意義であるのですから。 弱き者というのは、領民の中でも圧倒的な大多数を占めます。 そして国力というものの根幹とは、数と統制に行き着くのです。 ということは、弱き者をいかに救済し、統制出来るかに懸かっている。 ところが今のsystemでは、弱き者を助ける事はできない。 本質的な、国家という存在が内包する矛盾であると思います。 万人に平等な権利を付与する事は、生得の不平等を広げる事でしかないのですから。 集合の規模が大きくなりすぎていることも問題だと思います。 構造が複雑になる原因は、その構造自体の肥大に他ならないからです。 分割して統治するというのが、あらゆる構造における正解なのです。 正確なピラミッド構造というのは、そういうやり方でしか実現出来ない。 けれどそうしてしまうと、富の集中は起こり難くなります。 適切な形での運用なのであれば、淀みは発生し得ないからです。 それは、一部の人にとっては望ましくない事なのですよね。 さらに言えば、大部分の人はその事を知らない。 となれば、あとは決まり切った形に落ち着いていくしかないことは自明。 小さい自律組織が沢山あって、それをまとめる小さい組織があって。 そういう風に、綺麗に積み重なっていくことこそが肝要。 けれど、そんな社会を構築するのは、生半可なことじゃない。 その原因は、偏に人材不足に他ならない。 とりあえず、株式公開ってのは非常にriskyなことだと喧伝しなくちゃ駄目だと思います。 マザーズとかヘラクレスは、もっと自重するべきだと思うんだけどなぁ。 株式市場の本質が、まだ充分に浸透出来ていないのだから。