漂書

ぼちぼちと、ゆるゆると

降旗 学の「長目飛耳」 映画館と庭師

この連載、とても好きです。 なんというか、毎回ぐっと来るものがあります。 まずはこちらから。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20071120/141148/"なにもない雪の街に、ひとりで作った映画の楽園 (降旗 学の「長目飛耳」):NBonline(日経ビジネス オンライン)
 「ぼくの金だと思ってないし、もともと儲ける気なんてなかったからね。とんとんでいいんですよ、そうすればずっと映画館を続けられるんだし。だから、ときどき読み違えて、三日間で150人でいいところを400人も500人もお客さんが入ると、どうしようこんなに入っちゃってと思うものね」  理由を訊いてみた。何故、自分の金ではないと思うのかと。  「だって、映画は公共のものだし、社会のものでしょ。貯まった金はストック金として、イベントをやるとか、必要があるときに使えばいいんですよ」
もうねー、感動しかないです。 これからの社会に必要なのは、こういう視点なのではないかなぁ。 成長成長の一辺倒は、すでに限界に来てるとしか思えない。 限られたパイを、和やかに分配していくような社会が正常なんじゃないのかな、と。 だって醜いですよね。必死な顔して業績を追い求めてる姿というのは。 そもそも現状のような世界になってから、歴史は決して長くないのですし。 業績以外の成長というものに、きちんと目を向けるべき時期なんだと思います。 そしてもう一つ。 自然に手を貸す「不惑の庭」 (降旗 学の「長目飛耳」):NBonline(日経ビジネス オンライン) ぼくは職人という存在に憧れ続けているので、こういう記事は本当に好きです。
 実際に作庭を任されたら、彼は予算にあかせて最高級の松を買い入れ、最高級の灯篭を配置するだろうと考えたからだ。 「違うんだよね。高級な素材を買い求めて造る庭だけが本物じゃないんだ。現に俺は安い予算で100年もつ庭を造ろうと躍起になっていたわけだし。その1000万は手間暇にかけるのが庭師だろうって思ったんだよ。職人は手間を惜しんじゃいけないんだ。どこにでもあるものに手を加えて味を出すから職人なんだし、そこに庭師としての表現があるんじゃないかってね」
痺れます。格好いい。 こういう意識を持った瞬間から、たぶん人は「職人」になるのだと思います。 そしてその中でも特に才能のある人が、「名人」と呼ばれるのだと。 いつの日にか、職人と呼ばれるようなEngineerになりたいなぁと思っておりますです。 思ってるだけじゃ駄目だって事は、百も承知の上で。