漂書

ぼちぼちと、ゆるゆると

「公私混同」原論 第3回と第4回

糸井重里氏のお話は面白いなぁ。

まず、こっちから。こんな世の中で、「消費」を動かす方法はひとつだけ (「公私混同」原論):NBonline(日経ビジネス オンライン)

あるお客さんの声を聞いて、その結果ある機能をつけようかどうか、とします。そのときに、作り手である自分自身がお客さんとして納得できるかどうか。しかもその納得できるできないをひとに説明できるかどうか。
これって、ほんと「ものづくり」の基本中の基本だと思うんですよ。

お客さんの言いなりになるだけじゃ、その「職人」の存在意義は無いです。

それこそ、機械任せに出来ちゃうような種類のものですよね。

そうではなくて、その「職人」の思想に、購入者は惚れ込むわけです。

かつてのソニーなんかでは、それが顕著だったと思います。

ところが最近では、その「思想」を見ようとしない人も増えてるのですよね。

その結果、制作者側も思想を持たなくなってきちゃってる。

それが、個人的には困ったもんだと思っております。

どんな業界であっても、この矜持は捨てたら駄目なところだと思います。

「新しい」産業ほど、こういうものが見当たり難いことが根深い問題なのかも。

多様な選択肢があることの重要性は、こういうことが前提としてあるからなんですけれどもね。

高度にsystematicになってしまったことも、要因の一つではあるのでしょう。

けれど、そこは言っても仕方ないことで、もう後戻りは出来ない。

職人が誇りを持って仕事すること。

そして消費者は、「自分は何を買っているのか」を認識すること。

この二つが復権すれば、世界はずいぶん変わるような気がします。

そしてもう一つ。「意味のないことは許せない」の罠 (「公私混同」原論):NBonline(日経ビジネス オンライン)から。

 では、生きるうえでぼくたちが本当にしたいってことは何なのか? それは、ただ「情報を集める」とか、ただ人を「管理する」ってことだけでは、もちろんない。結局、なにかを生んだり、なにかを使ったり、何かを消費したりするってところにかかわっていきたいんだ、と思うんです。
これは非常に的確に人間という生物種を表した一文だと思います。

「創造力」というものの本質は、ここにあるのではないかと思うのです。

情報を集めることも、管理することも、突き詰めればCreativeに繋がります。

けれど、そこに辿り着く前に満足し、止まってしまうことが問題なのです。

なんでそうなってしまったのかと言えば、社会的にはその方が「安定」するからです。

新しい方向を「見えない」ようにすることで、社会は停滞します。

停滞した社会においては、既得権を持っているものが王様です。

そして社会に対して最も影響力を発揮できるのは、王様であることは自明です。

本来、既得権というのは、維持することがとても難しいものであるはずなのです。

何故なら、人間とは変わろうとする生き物だから。

社会は人間が作るものである以上、停滞は望ましくない。

だからこそ、既得権保護の仕組みが産まれたはずです。

けれど、高度情報化の社会においては、維持する「方法」も変わっているのです。

それを、意図的に隠すことによって、変化しようとする力を押さえ込んでいる。

安定を指向するのは、物理法則そのものの指向でもある。

そこから逸脱できる存在が、人間という変わり種なのだと信じたい。

脱線したので戻します。

結局、何かを産み出そうと思えるような環境を取り戻せるかどうかですよね。

気付いた人は抜け出せるけど、そうでない人が圧倒的に多い。

そして結局、社会を形成するのは多数派であるという事実。

ある意味、完成されてしまったこの構図を、いかに崩せるかが問題なのでしょう。

停滞したままでは、あとはゆっくりと腐っていくだけだから。

その為の打開策として、

たとえば、まず自分の経験値が圧倒的に足りない分野のコンテンツで、そのコンテンツに含まれている面白さが判断できないことがある。そういう場合は、体験しないと分からないですよね。
というところが参考になると思います。

つまり、「経験値」は増えているけど、「体感値」は減っていることが問題。

言うなれば、みんながみんな「頭でっかち」になりすぎてるんだと思います。

ここは、自分自身への戒めも、かなり大きいところです。

知識があることは、「感心」されるけど「感動」はされない。

ふぅん、と思ってそれでお仕舞い。もう嫌って程それは分かってる。

仮想化が進むことで、「体感値」の蓄積も容易になってくると思います。

そこから先の世界こそが、来るべき「次」の世界になると思います。

いまの世界は、「過去」の末期であり、「次」の世界への繋ぎでしかないのでしょうね。

良いんだか悪いんだか分かりませんが、まあ、面白い時代なのは確かでしょう。