パブリックコメントの結果
パブリックコメントの結果が公表されたようです。
議論かみ合わぬまま、期限切れ迫る私的録音録画小委員会:ITpro
すごい結果になったようですね。
MIAUの活動としては、とりあえず成功と言って良いのではないかと思います。
雛形を使ったCommentの有効性を疑問視する人も見かけます。
確かに、何も考えずにコピペするだけなのであれば、それは問題に見えるかもしれません。
けれど実は、それですらも問題にはなり得ないのです。後述します。
雛形がなければCommentを書けない人がいることも事実だと思うのです。
著作権というものは、かなり難しくてややこしいです。
それを、じっくりと考えるだけの時間というのはなかなか取れないのも事実だと思います。
と言うと、そういう人は出さなきゃ良いじゃん、という反応が次にきます。
確かに、それが自分に関係のない分野のお話なら、それは正論かもしれません。
けれど今回の問題は、日本という国家の「法」に関係する話です。
その「法」を決めるに当たって、分からない人は黙ってろ、というのはどうなんでしょうね。
MIAUの功績は、取りまとめにおける問題点をpick upしたことに尽きます。
時間がない人でも、其処を読めば「何が問題なのか」ということが分かるというのはかなり大きい。
それを問題と感じなければ、Commentにその部分を含めなければいいだけの話。
以上の観点から考えると、生野委員の
コメントを提出したユーザーは、中間とりまとめの内容を必ずしも理解していないのではという発言は、nonsenseに過ぎると感じます。
理解してもらえなかった責任は、いったい何処にあるのでしょうね?
今回の主張が正当なのであれば、「分かってもらう」のが筋だと思います。
通じていない以上、どうすれば分かってもらえるのかを考えるべきでしょう。
さて、何故コピペが問題になり得ないか。
簡単です。これが「パブリックコメント」だからです。
中身が分かっていなくても、その団体の趣旨に賛同しているのなら、コピペであっても正当なのです。
現に、苗村委員からは、
数千人が同じ意見を出しているのだから無視できない。という発言も出ています。
数の問題ではありませんが、数は問題になりうるのです。
「私はこの意見に賛同します」という意思表明は、立派なCommentなのですから。
これを否定することは、例えば選挙制度の否定にも繋がっていくと思います。
政策を分かって投票している人、どれくらいでしょうね?
そうあるべき、というのは正論ですが、じゃあどうするの?という問題です。
色々な問題が山積している中、これからどのように進んでいくのでしょうね。
論点そのものの枠が大きすぎるのが、全ての原因なんじゃないかなぁ。
世界的な情勢を睨みつつ、的確かつ迅速に細かい部分を潰していくのが大切だと思うのですけれど。
同時に、大枠での法改正というのも視野に入れていくべきと思います。
社会情勢を鑑みたときに、現在の著作権のあり方ってどうなのよ、とか。
これは著作権だけではなく様々な局面で言える話だとは思うのですけれどね。
要は、現在の法律そのものが古すぎるんじゃないか、というだけの話だと思わないでもないです。