漂書

ぼちぼちと、ゆるゆると

「学ぶ」事の難しさ

たけくまメモ : 独学に勝る勉強はない(2)

もう、言わずもがなな事であることではあるのですけれど。

学ぶ意志のない者に何かを教えることは不可能
というのは嫌になるくらいその通り。

個人的には、学校というのは「学び方」を覚える場だと思っています。

何かを実際に「学ぶ」のではなく。

そういう意味では、竹熊氏の「独学に勝る勉強はない」というのは正しいと思います。

研究者などの「高度な専門家」においても、勉強は常に独学であるはずです。

前人未踏な領域に踏み出す以上、誰かから「教えてもらえる」筈はないのですから。

とはいえ「学び方」というのは、かなり難しいです。

だからこそ、学校という場で集中して行う事になった。

理想を言えば、各家庭で教育が可能であれば、それが最良だと思います。

一人一人にあった形を模索でき、きめ細やかに指導できるから。

もちろん、「学校」に期待されているのは「教育」だけでは無いですけれどね。

「既にあるもの」を叩き込むだけの行為は、「教育」とは呼びません。

例えば、九九を覚えさせることは「教育」ではないです。

けれど、そこに「目的」があるのなら話は変わってきます。

「覚える」ことが目的なのではなく、「将来の労力を減らす」ことが目的。

ところがその目的は、覚えようとしてる段階では見えません。

実際に覚え、それを利用して始めて分かる、という種類のものだと思います。

ここに、初等教育の難しさがあるのではないかな、と思っています。

つまり、「本来の目的」を初等教育では伝えられない。

けれど、「それ」を習得しなければ、先に進むことは難しい、というdilemma。

目的が見えなければ、受け手のmotivationは基本的に下がるでしょう。

だから其処に、「誤魔化しの娯楽性」みたいなものを導入する必要性が出てくる。

ところが、その匙加減というのも、かなり難しいものであることも事実です。

あまりに「楽しませすぎる」と、その先に進まなくなっちゃうのですね。

知識を習得させつつ、先を望ませるような技というのが必要なのです。

高校教育くらいになってくると、内容も高度になってきます。

特に数学は、将来なんの役に立つの?というものが殆どです。

実際、社会に出てから、それらが役に立つ局面というのは稀です。

しかしそれは、例えば「微積」という「対象」だけを見ているからなのです。

「算数」ではなく「数学」というのは、主に論理的思考を鍛えるための訓練なのです。

数学は、厳格な整合性が際だっている学問だと思います。

だからこそ、論理的思考を鍛えるために有効なのです。

そういう風に対象を捉え直すと、明らかに風景が変わってきます。

とはいえ、それは必ずしも身につけなくてはならない、というものではないのも事実。

Engineerなどを志すのであれば、必須となるものではありますけれど。

小学校までの学問は、本当の意味では「教育」とはちょっと違います。

それは「下地」を作るための期間であり、受け手はまだfieldに出ていない。

ここで行うべき「教育」は、動機付けと意識付け、だと思います。

となれば、哲学とか文化論というものを組み入れるべきではないのかな、と思います。

つまり、「先を見越す」という能力を鍛えるべきではないか、と思うわけです。

それをどうやって教えるのか、めちゃくちゃ難しい問題ではあるのですけれどね。

例えばSocratesを取り上げても、それは「哲学」を教えることにはならないから。

高校とか大学について、何が問題かと言えば、それが「義務化」していることです。

例えば「大卒」という括りで見たとき、そこで学んだことを社会で活かせる人は稀です。

実際、中卒程度の学力があれば、社会に出ることは充分に可能だと思います。

あと必要な「能力」に関しては、「その社会」で覚えるしかない筈です。

学校という場は、その性格上「一般論」しか教えることは出来ません。

「そこで生きる」ために必要となる要素は、そこで身につけるしかないのです。

大学というのは、研究施設であるべきなのではないかと思います。

つまり、そこも「社会」の一つでしかない、ということです。

以上から、高校は須く「付属校」にした方が良いんじゃないかと思います。

或いは、大学を4年制ではなく7年制にして、高校という枠を外すか。

15歳以上は成人扱いとして、「成人として必要な能力」を中学までに身につけさせる。

それが、「義務教育」というものの意義そのものなのではないかと思うのです。

現在の世界は、あらゆるものが細分化し、同時に先鋭化へと向かっています。

そのような世界においては、「一般化」というのは殆ど意味を成さなくなります。

この現状を踏まえると、現在の高校教育は不要、という論は妥当なのではないかと思います。

あと、本質的な「上下関係」というのを、きっちり教えるべきだと思います。

これが、社会規範の前提になるものだと思っているので。