漂書

ぼちぼちと、ゆるゆると

プログラマ35歳定年説とエリートと叩き上げ

プログラマ35歳定年説」と聞くと、ちょっとした違和感を感じます。

なんで、"programmer"だけなんだろうか。

どんな業界であっても、生涯現役ほど難しいものはないです。

その理由は「留まる」ことに対する価値。自分と周りの両側面から見てね。

下の世代から見た場合、必要なのは「尊敬できる先輩」だけだと思います。

同じ世代から見た場合、必要なのは「頼りになる同僚」だけだと思います。

上の世代から見た場合、必要なのは「使いやすい後輩」だけだと思います。

それぞれ、何を指しているのかは自明だと思うので、解説は省きます。

じゃあ自分から見た場合はどうか。

これは、「その場」の捉え方に集約されると思います。

つまり、36歳になって思う「プログラマ35歳定年説」─ CNET Japanのこの部分。

「あなたは肯定派ですか?否定派ですか?」といわれれば。どちらでもないと答える。そして、それを聞いた人にこう聞くだろう。

「あなたはどうしたいの?」

世間に流されず自分自身と相談しながら、自分の行きたい方向をしっかりと見て、自分で決めて進んで欲しいと思う。途中で方向が違うなと思ったら、修正すればいいじゃないか。

つまり自分にとっての"programmer"とは何か、という事だと思うのです。

それが明確に見えているのなら、生涯現役でいることはそれほど難しくない、と思います。

問題は、揺らぎ続ける「自分への信頼」を保ち続けられるかに懸かっています。

誰からも評価されないとしても、それでも「自分は"programmer"だ!」と思えるのかどうか。

そしてそれは、どんな業種であっても同じです。""に入る言葉が変わるだけ。

あと、ここから派生したことについても。

最近よく見かける混同についてですが、「エリート」と「叩き上げ」はぜんぜん違う。

現場で修羅場を潜ってきた人は、確かにその分野ではspecialなのだと思います。

だからといって、その人が「管理者」になれることには繋がりません。

軍隊を例にするのが、たぶん一番分かりやすいと思います。

自衛隊でも、一般募集の「兵士」と大学校を出た「幹部候補生」はぜんぜん違います。

スタート地点がすでに違いますし、そのあと歩む道も明確に違います。

なんでこういう事をするのかといえば、「役割」がぜんぜん違うからに他なりません。

兵士として優秀であり、素晴らしい能力を有している人がいたとします。

この人は、どんなに頑張っても「指揮官」になることは難しいでしょう。

武器の扱いに長け、戦場の感覚も優れたものであったとしても、です。

その理由はただ一つ、「現場」と「指揮」では求められる能力が違うからです。

極言すれば、「指揮官」には現場のことを知る必要性は全くありません。

部下の中に、「現場」についての豊富な知識を有している人がいればそれで良い。

指揮官の仕事は、戦局を有利に進めることで、作戦を立てる能力ですらも必要ない。

それぞれの分野におけるspecialistたちから上がってくる情報。

それらを受け取り、眺め、そして「判断し命令する」ことが指揮官の仕事。

「じゃあおまえに出来んの?」という批判の殆どは的外れです。

その批判は、同業者相手なのであれば強烈な威力を持つと思います。

けれど、「兵隊」が「指揮官」に言い放つのなら、それは馬鹿げた放言です。

最近は、「叩き上げ」ばかりが優遇されている気がします。

本当に不足しているのは「エリート」だということが全く分かってない。

どれだけ優秀な「武器」が揃っていても、それを使いこなせる人がいなければ意味はない。

そして「武器」自体が「使い方」を知っていることは極めて稀です。

「使い方」とは、どのボタンを押したらどうなるか、という話ではないです。念のため。

変に上下関係とかが無くなってしまったことが、問題なのだと思うのです。

上下関係というと、差別と結びつけたがる風潮も駄目駄目ですね。

求められる才能などの要因によって、必然的に仕事の質は変わらざるを得ない。

それぞれの仕事の目的や役割を、きちんと理解出来ないのは不幸でしかないと思います。

「指揮」する人の「命令」は、「兵士」であるなら遵守するしかない。

それが嫌なのであれば、「組織」には属さないという選択しかありえない、と思います。