漂書

ぼちぼちと、ゆるゆると

WHY DEMOCRACY?

民主主義というのは、「穏やかな革命」なのだな、と。

検索してみたらこんなのがありますが、違います。

もっと直接的な、そして根本的な革命

NHK 33か国共同制作 「民主主義」

たぶん根本的な部分から言えば、そもそも論から入らなきゃいけないのだと思う。

「そもそも、『国家』とは何か?」

「そもそも、『国家』と『政府』の違いとは?」

などなど。

その部分についても考えはあるのですが、長くなりすぎるから略します。

10本の映像作品を観て、そこで描かれた世界中の状況を観て。

ただ単純に、「世界って、ほんっとうに広いんだなあ」と思います。

これだけ広い世界が、それぞれの価値観で分断され、細分化されている。

そんな状況において、万能策なんて存在しないのではないかと直感します。

そして、恐らくその直感は、きっと大きくは的を外していないのだと思います。

宗教、という一つの分類を取り上げても、そこには確固たる分断が横たわっている。

それぞれの共同体を駆動している価値観、その核となるものが宗教。

文化や倫理、規範や道徳、そういうものの基底となっているもの。

それは理屈ではなく、感覚の一つですらあるような、根本的なもの。

誰かが甘いと感じたものが、他の誰かにとっては辛いと感じるようなもの。

同じ生物種であるのなら、普通はそこまで大きく逸脱することはない。

となれば、多分それぞれは、見た目が似ているだけの違う生物種なのだと思う。

そのような「世界」において、「協調」とはどういうものなのか。

本当の意味での「共感」、そして「合意」というものは存在するのか。

この特集の前に、攻殻機動隊 S.A.C. Individual ElevenをCATVでやっていました。

その中で、象徴的な台詞がありました。

「人は低きに流れる」

簡潔にして、的のど真ん中を強烈に貫く一言だと思いました。

人は、低きに流れます。そして、そこで澱みます。

周りを見渡してみれば、この言葉の真意を感じ、理解することは容易です。

いえ、自分自身を見つめ直すだけで充分なのかもしれません。

現代における様々な仕組みは、すべて"FAIL-SAFE"の理念に基づくと考えられます。

「こうなるだろう」という予測に基づいた、事前対策を重視している。

そして、そのときの予測に使われるのは悲観論です。

「こうなれば良いな」という楽観論ではありません。

ましてや「こうあるべき」という理想論は有り得ない。

最も悪い状況になっても、そこから挽回する為の余地を残す、という方法です。

ここに至るまでの過程というのは、膨大な経験則に因るものであることは自明。

人は、いつか必ず堕落する。そして、人の創りしものには、必ず欠陥が内在する。

その逃れられない終焉を迎える際の被害を、いかにして軽減するのか。

その事だけを念頭に置いて、常に回避策が存在するように練り上げられた方法論。

民主主義というのは、そのようにして創られた「革命」の道具です。

『国家』の滅亡を避け、『文化』の荒廃を防ぎながら、価値の転回を実現する。

それが「穏やか」で「緩やか」であるからこそ、実現には時間がかかります。

そしてその猶予こそが、歩みを止めることなく微調整を可能とする余地に他ならない。

民主主義に必要なもの、それは「統一」しかありません。

教育や規則というのも必要なことかもしれませんが、絶対条件ではない。

必要なのは、「危機感という共通の価値観」で統一されることでしかない。

簡単に解れてしまう人々の意志を、いかに繋ぎ止めておけるかに懸かっている。

民主主義を壊すもの、それは革命の終焉です。

倒すべき相手が存在しなくなった瞬間から、民主主義は瓦解していきます。

その理由は、上に書いた成立の必要条件のためです。

目的を失った瞬間から、人々の意志は静かに、けれど急速に解れ始めます。

そしてそこには、繋ぎ止めておけるだけの柱は存在していないのです。

革命が終わった後に残るもの、それは『法』です。

革命を先導した人たちは、誰よりも先に革命が終わったことを理解します。

そして、彼らの目的をさらに推し進めようと力点を変えます。

ここに導入された『力』こそが、『法』に他ならないと考えます。

先導者に固有の『力』は、その先導者の消失と共に消え失せます。

多少の影響力は残るかもしれませんが、せいぜい数十年という単位でしょう。

しかし、この『力』を『法』として価値基準の座に据えることが出来れば。

その価値基準が浸透すれば、その共同体を駆動する「価値観」に昇華します。

ここに、新しい『宗教』が生み出された、という結末に落ち着きます。

これからの社会は、「律法主義」へと移っていくように感じます。

法主義とは極めて閉塞的なものです。これを突き詰めたのが原理主義です。

しかも、その成立過程が悲観的なものであるなら、その傾向はより激しくなる。

統治者たちは、共同体が安定軌道に乗ったと判断すると、自動化へと向かいます。

社会構造、伝達系統、階層構造、そういったものを整える方向に向かう。

これらの枠組みが堅ければ堅いほど、民衆は安心し、どんどん低きへと流れる。

民主主義は、独裁制への対抗ではない、と思います。

むしろ、どんな政治手法であっても、行き着く先は独裁でしかない。

そうであるからこそ、終着点への到着をいかに遅らせるのかが重要になる。

そういう意味で、民主主義という手法は、とても良く出来ています。

重要なのは、これが終着点なのではなく、あくまで通過点に過ぎない、ということ。

最悪の結末に到達してしまう前に、次の方法を編み出さなければならない。

多面的に「民主主義」を捉えた、素晴らしい番組でした。

これまで疑問だった幾つもの点が、綺麗に解消されたように感じます。

成熟してきた現在だからこそ、出来た番組なのかな。

そして、成熟した民主主義は、遠くない未来、完全に堕落するでしょう。

その兆候は、もうかなり前から出て来ています。

法主義へと進んでしまった未来には、たぶん希望は存在し得ません。

また「新しい道」を模索しなくてはならないのでしょうね。

世界経済といい、技術革新といい、世界が収束へと転回しているような気がします。

何か、本当に些細なことが引き金となって、キュッと収縮しそう。

緩やかに延ばしてきたものが、一気に縮んでしまう感覚。

その衝撃は、ちょっと半端じゃないものになるのは間違いないでしょうね。