漂書

ぼちぼちと、ゆるゆると

平和とは、正義とは

難しいな。

たかだか、といったらあれですが、でも、たかだか30分の番組。

それで、ここまで考えさせられる。本当に、良い番組だと思う。

爆笑問題のニッポンの教養 | FILE023:「平和は闘いだ」

悲しいけど、認めなきゃいけないこと。

武力は一種の、そして、強烈な説得力を持つ「正義」だということ。

たぶん、理念だけで説得できる人なんて、この世にはいない。

高度か否かではなく、もっと単純に、「どこ」を見ているか。

要は、それだけのことなんだろうと思う。

「みんな仲良くしましょう」と、力のないものが言った時、その発言を呑むか。

呑まない人は、「純粋な人」だと思う。

仲良くすることが有効だと思えないから呑まないのだから。

呑む人は、「狡猾な人」だと思う。

呑むことによって、その裏にある有効性を受け取ろうとするのだから。

こういう考え方は、あまりに捻くれた考え方なのかもしれない。

もっと単純に、それが良い事だから呑んでいるだけなのかもしれない。

でも、ほら。言った端から「良い事」が顔を見せている。

その「良い事」とは何か。しょせん、個人の願望に過ぎないのではないか。

なぜ、戦争が良くないことなのか?

この問いは、「なぜ、人を殺してはいけないのか?」という問いと根が同じ。

この問いに対する答えを、ぼくは森博嗣氏の著作から得ました。

「ぼくが殺されたくないから」。

世界に戦争が蔓延すれば、自分の命が危うい。

だから、戦争は止めるべきだと主張する。

これは、狡猾って事と何が違うのか?

そうではない、という主張ももちろんあるだろう。

「罪のない人が惨殺されるべきではないから」。

確かにその通り。けれど、何故?なぜ、そう思うのか?

「そういう風景を見たくないから」とぼくは答える。

ほら、結局は己の願望だけじゃないか。

それが「正しいこと」ではないから、という意見もあるだろう。

では、「正しいこと」とは何か?

「正しいこと」は理屈ではない、と反論されるかもしれない。

何が「正しい」のか?

おそらくこれは、人類が「自己」を得てからずっと、抱え込んできた問題なのだと思う。

誰かが発明した「正しいこと」。それもしょせんは理屈に過ぎない。

誰かの唱える「正しいこと」に他の誰かが納得させられたら、それが「正しいこと」になる。

そういう風にして出来たのが、たぶん「宗教」。

だとすれば、あらゆる物事は「宗教」に繋がると言える。

では、人は何によって「納得」するのか。

いろいろな要因があるけど、結局は「魅力」だと思う。

「魅力」とは何か。

それは力。絶対的で逆らうことが出来ない力。

「武力」は、そのもっとも分かりやすいカタチ。

殺してしまえば、反対意見は出なくなる。それは、ある意味での「納得」になる。

だからこそ、terrorismは脅威となり得る。

番組中で言われていた、"sexy"とはそういうこと。

強大で絶対的だと思われていた「正義」に対し、明らかな対抗を見せ付けている。

「正義」に疑問を持っていた勢力に対し、この「魅力」はあまりに大きい。

さらに、「戦争」が持つ魅力にも、抗いがたいものがある。

例えば「友情」。

この不思議な感情について、考えてみる。

「友情」とは、どういうときに生まれるか?

戦争から遠く離れている日本においても、その答えは比較的容易に見つかる。

「利害関係の一致」。これが最も簡単に出来る友情の素。

何かの目標に向かって、力を合わせて一緒に頑張る。

それが「強大な敵の打倒」だったりしたら、ほら、ジャンプ的友情の一丁あがり。

それは転じれば、現在のterrorismとなんら構図は変わらない。

いかに単純に、人々は結束できるのか。それが目の前に提示されている。

もちろん、人間というのは単純なばかりではない。

けれど、それは高次方程式にも似て、表面が複雑なだけに過ぎない。

丁寧にとき解していけば、それは単純なものが組み合わさっているだけなのだと分かる。

人間は自然の一要素に過ぎないのだから、最終的には自然の持つ単純さへと還元される。

ではどうすれば良いのか。

答えはやはり単純。

「成長」するしかないのだと思う。

成長することで、人はどんどん狡猾になっていく。

民主主義も、資本主義も、現代を動かす全てのものが、成長によって生み出された。

そしてその全ての根底にあるのは、狡猾であることを前提とした価値観。

純粋なものは利用され、単純なものは踏み躙られる。

「それ」は、否応なしに「汚くなること」を要求する。

「武力」とは単純で純粋な「力」の具現化。

だから、その「単純さ」や「純粋さ」を徹底的に貶める。

そうすることで、「武力」はその「魅力」を失する。

けれど。

それは、唯一の未来なのだろうか?

それは、本当に「良い事」なのだろうか?

武力が魅力を失うことは、たぶん良い事なのだろうと思う。

だけど、その為に失われていくものたちは、いつか取り戻せるのだろうか?

いまのphaseを抜けた先に待っているものは、いったい何なのでしょう。

戦争は、きっと無くなりません。

現在起こっているのは、武力による戦争から経済による戦争への移行。

そして次に待っているのは、文化による戦争なのだと思います。

そして文化による戦争は宗教による戦争に変わり、武力による戦争へと戻る。

この繰り返しを、いかにして断ち切ることが出来るのか。

難しいな。うん、難しい。