漂書

ぼちぼちと、ゆるゆると

"the Internet"の本質とは。

"the Internet"の本質とは何か。

これだけ広まっておいて今更過ぎる話ではありますけれど。

でも、母数が爆発的に多くなった現在、軸はふらついてきているような気がします。

"the Internet"は自由である。

うん。確かに。けれど、現実だって自由です。

たぶん、ネットよりも自由です。

それは違う、という意見も当然のように見受けられます。

けれどその根拠は、「現実」の凄さを知らないことにある、と思います。

もしくは、「自由」の意味を履き違えているのかも。

そもそも、"the Internet"って「現実」ですし。

情報収得costの圧縮。うん、それも確かに。

けれど、それはあくまでも二次的なものに過ぎない、と思います。

「価値のある」情報を収得するには、それなりにcostが必要、ってことは変わっていません。

むしろ、S/Nが悪化してきた現在においては、むしろcostは上がっているかも。

たぶん、専門分野の先端を知りたいときには、専門書を買って読む方が早いです。

もっと良いのは、その業界のspecialistから直接に教えを受けること。

これは、どんな世の中になったとしても変わらないでしょうし。

"the Internet"によって、その手間が軽減できる可能性は出て来ました。

けど、それはやっぱり二次的なものであって、棚からぼた餅でしかない。

じゃあ、"the Internet"の本質とは何か。

それは、「繋がり」の容易さだと思います。

"the Internet"の根幹とも言うべき、"markup language"。

それが、"the Internet"の本質を表していると思います。

"World Wide Web"という名称は、本当に良く出来ているといつも思います。

ただ、唯一その名称から乖離しているのは、「無計画」であるということ。

すべての「点」は、ある意味で自然発生的に増殖し、勝手に繋がっていく。

この動きは、俯瞰したときに見えてくる通り、一つの自律したsystemそのものです。

その発展が有機的なのは当たり前で。だって「点」が有機物なのですから。

そして面白いのは、この世界での成功者は、原則に常に忠実である、ということ。

Appleにしても、Microsoftにしても、Yahoo!にしても、Googleにしても、面白いくらいに忠実。

softwareにおいては、外部接続の容易さを担保したところが必ず勝ってきています。

Closedな世界に留まろうとした製品群は、悉く淘汰されてきました。

そしてserviceにおいては、いかに「繋がり」を多く持てるかが勝敗の分かれ目でした。

それは、情報の「質」を無視し、とにかく数さえ多ければ良い、という価値観。

Googleは、その原則に従って自らを純化することによって、現在の位置を勝ち取りました。

"the Internet"の本質は、いつまでも変わることは無いと思います。

もし変わることがあるのなら、それは"the Internet"の終焉と同義です。

勿論、形あるものはいつか壊れる、というのは世の習いではありますけれど。

それが何時になるのかは、現時点では全く分かりません。

けれど、"social infrastructure"になった以上、そう簡単には壊せない。

その本質を考えれば、そもそも「壊す方法」が分からないと思います。

「次」は、物理的な部分の補修へと移行するのは確実でしょう。

現在の「場」において出来ることは、ほぼ完了されてきたように感じるからです。

何時の世であっても、最後にぶつかるのは物理的資源の枯渇です。

"the Internet"は、その最後の障壁を乗り越える可能性を持った、始めての技術です。

「自律的な接続」が本質であるsystemにおいて、現在の物理層は不十分。

そろそろ、「消す」方向への揺り戻しが起きる頃かな、と予感しています。

まずは、電波を消す技術の確立が、そろそろ本格化するんじゃないかな。

電波を恣意的に消滅させる技術が確立すれば、無線の世界は急変します。

調べてないから分かってないだけで、実は既に確立してそう。主に軍関係。

原理的には単純で、簡単に実現出来そうだし。

sensorで検知した周波数に対して、real timeに逆位相をぶつければ良いんじゃないかな。

noise-cancelingのearphoneがあるんだから、無線でも出来るんじゃないかと思うんだけど。

単一周波数じゃないから、解析が難しいかもだけど。

まず、特定のservice areaを定める。

外縁から中心に沿ってさらに細かく単位areaを設定し、そこにsensorを散らす。

各単位areaごとに管制を定め、そこにsensorからの情報を集約する。

管制は、各単位areaごとにnoise-cancelを行う発信基地を持つ。

「静かな状態」に遷移したservice areaに、情報を載せる搬送波を中央の基地から飛ばす。

搬送波に対する雑音のみをcancelすればいいから、それほど複雑にはならないんじゃないかなー。

sensorと管制を整備するための費用が莫大になりそうだけれども。

妄想はさておき、"the Internet"に無線の相性が良いことは自明です。

「繋がる」という目的に対して、有線というのはそれだけで枷になる。

「ケータイ」の隆盛が、それを端的に物語っています。

しかし「ケータイ」は、「次」を担うには役不足、と個人的には思っています。

それは、「現在のケータイ」ではなく、「これからのケータイ」も含んでの話。

何故かといえば、「目立ちすぎる」からです。

infrastructureというものは、水や空気と同じです。

それを「持っている」ことを感じさせているうちは、多分だめだと思います。

「ケータイ」は、「持っている」ことを放棄させてくれないから。

でもまあ、business云々ってやってるうちは、まだまだ先の話なんだろうなぁ・・・。

まずは、「資本主義」の終焉が先に来なきゃ進めないだろうし。

もっとも、それは遠い未来の話ではないとも思うのだけれど。

これから起こるであろう大混乱の時代を、それほどの被害を出さずに乗り切れるか。

それに懸かっていると言っても過言ではないのかも。