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爆笑問題のニッポンの教養 | FILE031:「我働くゆえに幸(さち)あり?」

なんというか、「学者」と「芸能人」だなあ、と。

爆笑問題のニッポンの教養 | FILE031:「我働くゆえに幸(さち)あり?」

なんというか、時代の節目なんだなぁ、と思います。こういうのを見ると。

たぶん、いまの世の中というのは、陳腐な言い方をすると、激動の時代なのですよね。

凄まじい勢いで、時代の様相というのが一気に変わろうとしてる。

一つ言えるのは、「学者」や「芸能人」には、ここは分からない部分だろうな、と。

なぜなら、彼らは「浮世離れ」した存在なのですから。

これは皮肉や非難ではありません。そうでなければ困るのです。

これからの社会は、失業率はまだまだ増えると思います。

派遣やパートやバイト、まだまだ増えると思います。

そして、どこかの瞬間で、世間は引っ繰り返るような気がします。

つまり、労働人口の逆転現象が起こるんじゃないかと。

そうなったとき、「働く」という行為そのものの本質が変わる、と予測してます。

もともと、「正社員」というのは歪なカタチだと思うのです。

「会社」というものの存在が、ものすごい勢いで揺らいできてる。

いまの「会社」というのは、言うまでもなくmanufactureです。

より効率的で、より機能的なカタチを追い求めた結果が「会社」。

けど、その方向性が有効なのは、製造業だけなのだと思います。

現在の「働き口」というのは、これからどんどん減っていきます。

それが、technologyを進化させる目的だからです。

自動化を促進するというのは、単純労働を減らしていくのが目的なのですから。

けれど、絶対的な「働き口」の数は、多分、一定のまま変わらないようにも思います。

世界がflatになるということは、そういうことなのだと思います。

なんというか、段階なんてものは、そもそも存在していない。

あるのは積み重ねであり、求めるべきは健全な格差だと考えます。

「評価」というものが正常に機能すれば、殆どの問題は解決するはず。

あまりにも細分化し、先鋭化してしまったことが、全ての原因だと思います。

けれど、それは避けられない選択でもあったのも事実です。

となれば、その後始末を誰もやっていないことが、これからの課題でしょう。

いまの世の中が良いなんて、たぶん言えないと思います。

けれど、いまの大人たちには、いまの世を変えることは出来ないと思います。

いまの常識に漬かってきてしまった以上、その固定概念から抜け出すのは難しい。

だから、次の世を作るべき世代に、後を任せていくしかないのではないかと思います。

その為には、次世代の育成に必要以上の手間暇を掛けないようにすることが重要な筈です。

いまの常識を次の世代に押しつけるのではなく、いまの問題点を、問題点として捉えられるように。

革命は、迫害からしか生まれません。

社会を変えるには、革命しか方法はありません。

たぶん、旧世代と新世代は、常にガチンコの喧嘩をしていくしかないと思います。

それが生物種の宿命であり、世の習いなのではないか、と。

甘やかすなんてのは下の下です。それはただの独善にしかならない。

迫害といっても、非人道的なものは当然駄目です。

革命といっても、暴動や戦争というのは以ての外です。

なぜなら、文化的な人類、なのですからね。

あとは、それに何年かかるかな、という点だけかな。