漂書

ぼちぼちと、ゆるゆると

「スカイ・クロラ ―The Sky Crawler―」 感想

素晴らしい、の一言。

しばらく、作品の余韻から抜け出せませんでした。

あの、独特の空気感で劇場を支配する手法というのが、押井守という才能なのでしょう。

何よりも素晴らしいと感じたのは、音響とカット割り。

全くの門外漢なので、記述的にどうこうというのは正直よく分かりません。

単純に、素晴らしいなと感じました。

音が後ろから聞こえる、とか、本物のような効果音、とか、そういうことではなく。

すっと離れた画面構成、とか、deformされた見せ方、とか、そういうことでもなく。

NHK押井守特集を観て、これはすごいなあ、と感心したのは確かです。

けれど、劇場で実物を観て、それはただの要素だったわけか、と深く納得しました。

あらゆる場面が、ものすごく静か、なのです。

それは、文字通りの「静か」ではなく、凪というような「静か」ともちょっと違います。

なんというか、淡々としているというか、希薄というか。

分かり易い濃淡や起伏は、おそらく意図的に排除され、「終わらない日常」を演出している。

そんな風に感じました。

そして何よりも、戦闘機同士の空中戦。

これは、もう震えが来るほどの出来でした。

大袈裟ではなく、呼吸を止めて見入ってしまうほどです。

Dynamicに切り替わっていく画面と、響き渡る轟音と。

本当に見事で、素晴らしい場面です。空中戦だけでもお釣りが来ます。

原作を読んでいた身として、幾つかの点で違和感がすごい部分も確かにありました。

フーコってこんなキャラかー?とか、笹倉はおじさんじゃなきゃ駄目だろー、とか。

けれど、そんな違和感も、次の場面ではすっかり薄れてしまうほどの演出。

映画のpamphletで、京極夏彦氏がこんなことを書いています。

森作品でありながら押井映画以外の何物でもないという、希有な例である。
まるで文庫の帯みたいに巧い。

という茶々は置いといて、この評は非常に的を射ているな、と思います。

もっと言えば、「スカイ・クロラでは無いが、スカイ・クロラ以外の何物でもない」。

森博嗣氏の「スカイ・クロラ」は、もっと「分かり易い」作品だと思います。

そこには明確な物語があり、丁寧な状況描写があり、きちんとした「終わり」が準備されています。

これは、小説という「言葉による芸術」だからというのが唯一の理由ではないかと思います。

一方の押井守氏の「スカイ・クロラ」は、言葉を用いていません。

原作の世界を、「映像」によって表現しているからです。

そこで何を表現しようとしているのかを、言葉によって説明していません。

そこで語られる言葉は、「映像」の一部としての「台詞」に過ぎない。

例えば床板の軋みのような、あくまでも効果音の一つに過ぎないのではないか。

言えるのは、両者は同じものを見て、同じものを表現しようとしたのだろう、ということ。

一つ一つの場面は非常に淡泊で、あっという間に過ぎ去っていきます。

そのことが指し示す「リアルさ」。

それこそが、押井氏が本作で伝えたいと願ったことなのではないかな、と思いました。

それが如実に表れているのが、staff-roll後のepilogではないのかな、と。

森氏は、そこに導くために、6冊もの「物語」を必要とした。

押井氏は、それを2時間でやり遂げるために、幾つかの場面を改変した。

時には細かく、ある部分は大胆すぎるほどに。

いつも通る道でも、違うところを踏んで歩くことが出来る。

いつも通る道だからって、景色は同じじゃない。

そういうこと、なのかもしれません。

小説の「スカイ・クロラ」。

映画の「スカイ・クロラ」。

この二つは、同じものを違う視点から捉えた作品なのだと思います。

小説が原作の映画、という、ただそれだけなのではない、と思います。

改めて、素晴らしい作品でした。

欲を言えば、人物や風景などの描写は、鶴田謙二氏で観たかったなー、なんてのは贅沢すぎますね。

でも、この映画には、もっと繊細な表現が必要だったんじゃないかな、と。

そこだけが、ちょっとだけ。

とりあえず、次は「戦闘妖精・雪風」を、押井監督に映画化して頂きたく。