漂書

ぼちぼちと、ゆるゆると

「格差社会」について

結局の所、「隣の芝は青い」ってことだよなぁ、と。

何がって、ここ数年の格差問題の本質。

そもそも、自分の庭と隣の庭しか見ていないことに気付いていない。

隣の芝しか見ないから、もっと綺麗な芝生があることに気付かない。

また、青さ以外に庭が持つ多くの要素にも気付かない。

所得格差拡大論の誤謬

「教育」こそが世界的な2極化トレンドへの対抗策

非常に分かりやすく、的確に問題を指摘されていると思います。

何によって、「格差」を捉えるのか、ということ。

隣の家と横並びであることが重要だったのは、何も最近の話ではありません。

高度経済成長期の頃なんかは、今よりもその傾向は顕著だったでしょう。

もっと遡れば、例えば江戸時代なんかの長屋生活もそう。

参勤交代という政策にも、そういう価値観があったことは自明だと思います。

つまり、この価値基準というのは、常に横たわっているものなのですよね。

ただ、それらの時代と現代とで、明らかに異なっている点があります。

結果の平等という間違った方法論が蔓延し、それが常識となってしまったこと。

そのため、能力に関係なく、結果、つまり報償だけが重視され始める。

組織というものは、どんなものであっても、大抵はピラミッド構造になってます。

効率化と能力差なんかを考えれば、そうなることは自然なことです。

希少なものには大きな価値が、ありふれたものにはそれなりの価値が付与される。

それが大原則であり、そうでなければBalanceが崩壊してしまう。

かつては、その原則が根底にあり、個々人もしっかりと弁えていた筈です。

自覚的になのか、無自覚になのかは分かりませんけれども。

また、世襲制などの間違ったSystemは大問題ですけどね。

さらに、価値基準が崩壊したことで、「能力」が計れなくなりつつあります。

同等の能力を保持しているEngineer同士であれば、お互いの評価は容易でしょう。

けれど、そこに報償が加味されると、このSystemはとたんに複雑さを増します。

技術的に優れているものが、運営、特に収益にも優れている訳ではないから。

高Costが許されるなら、ある程度以上の品質を保証することは、比較的容易です。

けれど、そのCostをいかに回収するのかという問題を避けることは出来ない。

ここを解決できる人材が希少であることは、容易に想像できることだと思います。

あと、ネットなどによって、「隣」が突然増えたことも関係してるでしょう。

物理的な隣ではなくて、Virtualな隣を知覚できるようになってしまった。

これには、功罪両方の面があるのですけれど、功績を享受できてる人は少なそう。

感覚が麻痺してしまって、能力差を知覚できなくなっている気がします。

結果の平等から機会の平等へと移行しつつあることは素晴らしいことですが、同時に能力の不平等というものも周知していくことが重要ではないかと思います。

人間は、生まれつき平等である、なんていう妄想は捨て去るべきです。

環境的な要因による不平等は、出来る限り排除していかなきゃいけない。

然るべき努力は、然るべき能力へと成長させてくれます。

それでもなお、どうしたって突き抜けられない一線というものが存在する。

その先は、賭です。全てを投げ捨てて、その線を越えることに執着出来るか。

その覚悟を持って成功したのであれば、別格として扱われるべきです。

そして本当に重要なのは、その格差が固定化しないことです。

「能力」にのみ依存するべきで、それ以外の要素は排除しなくてはいけない。

また、国家としての威信を得るためには、最下層を引き上げることも重要です。

だから、再分配をいかにするかが、国家として重要な政策になりうる。

格差社会そのものは、決して悪いことなんかではないのです。

むしろ、格差のない社会というものは、不健全きわまりないと思います。

けどそれは、能力に見合った報償がきちんと分配されている限りにおいての話。

そして、下層にいる人であっても、「人間らしい」生活を送れることが重要。

繰り返しますが、これは国家として、威信に関わる事柄です。

だから、文中で書かれているように、

日本の野党も「格差是正」を政策論争の目玉に掲げる以上、格差の実態について民間のシンクタンクなどを使って調査し、政府統計を覆すような実証データを提示すべき

なのです。

「きちんと」分配されていないことを、客観的な数値で示さなければならない。

主観的な景色で論じようとするから、議論があさっての方向に進んでしまう。

今やるべきは、日本という小さい一角を地均しすることではないのです。

世界から、日本という一角が羨ましがられるように出来るかどうか。

そのためには、日本そのものを健全にしていく以外に、方法はないと思います。

だからこそ、これからの教育はかなり重要なものとなっていくでしょう。