漂書

ぼちぼちと、ゆるゆると

Lawrence LESSIGのinterview

ニコニコ動画で、Lawrence LESSIG氏のinterviewを見つけました。

一般教養として、見ておくべき動画であると思います。

正しいかどうかが問題ではなく、「こういう視点もある」という意味で。

特に、ネット社会の素晴らしさを満喫している人は、自らの未来のためにも。

インターネットの出現は、あらゆる業種を否応なしに変革させ続けています。

世界の力点や勢力図ですらも、これまでにない速さで変化し続けています。

物理的な制約が弱まり、可能性の範囲が爆発的に広がっていることが、その要因です。

あまりにも前人未踏で、内在するものの規模が掴みにくい概念。

だからこそ、誰もがインターネットへの評価を確定することが出来ずにいます。

ただ、一つ確実なことは、それは新しい可能性へ続くものであるということです。

Webの出現によって可能になったserviceが、どれほどあるのかを考えれば自明でしょう。

そしてその波は、価値転換という一大事件へと繋がっていきます。

インターネットがもたらすものは、産業革命を越えると予測されています。

産業革命に限らず、これまでの歴史においても、価値の展開は何度も起こってきました。

その時に、旧態然とした価値観にしがみつこうとした社会はどうなったでしょう?

歴史を紐解くまでもなく、それらの社会は凄惨な末路を辿っています。

人間は、記憶し、学んでいくことが出来る生物です。その筈なのです。

過去に経験した失敗の歴史を繰り返すことほど、馬鹿げたことはありません。

決して、今あるものが大事ではない、と云うことではありません。

今あるものを活かしつつ、同時に新しい世界へと踏み出していく。

インターネットを支えている技術は、それが可能であるようなものであると、ぼくは信じています。

ぼくは、network-infrastructureに携わる技術者です。

その技術を知れば知るほど、非常に柔軟でよく考えられた技術だと驚嘆します。

IPというprotocolの奥深さや、OSI modelという概念の完全さに感動してしまいます。

この技術は、これまでのものが成しえなかったものを成すために作られたものです。

そして、そのような技術が生まれた背景を、何よりも重要に考えなくてはいけないのです。

どこかで秘匿され、囲い込まれることで、世が被る不利益は図りしれません。

その技術が担う範囲が広いほど、その技術は多くの人に公開されていかなければいけない。

この考えは、networkの世界においては、比較的広い範囲に浸透されているように思います。

基本的な理念は標準化団体によって定められ、consensusの上に成立しています。

重要なのは発明、価値を生み出すのは実装、そんな具合に落ち着いていると認識しています。

文化や技術が生まれると云うことは、突然発生的に起こるようなことではないはずです。

その背後には、先人たちが積み上げてきた多くの財産が必ずそびえ立っています。

追従か、或いは反動かの違いはあるにせよ、何かしらの影響下にあるはずなのです。

芸術活動においては、「標準」という概念は基本的に存在し得ません。

けれど、「手法」や「筋立て」など、参考となるべき「技術」は多岐に渡ります。

だからこそ、"COMMONS"と云う概念が重要になっていく。

お金は大事です。現代社会においては、特に大事です。

けれど、「価値」の基準はお金だけで測れるようなものでは無いはずです。

「お金だけで測れる」という人もいるでしょう。それならそれで結構です。間違いではない。

けれど、「お金なんかじゃないんだよ」という人も大勢居るはずだと思うのです。

その両者が、きちんと両立出来る社会であることが、健全な社会というものではないでしょうか。

国家という強大な権威が、片一方だけに肩入れするような社会は、とても健全とは言えません。

だからこそ、ぼくはMIAUという組織を歓迎し、その思想に賛同しています。