漂書

ぼちぼちと、ゆるゆると

爆問学問 FILE015:「ひきこもりでセカイが開く時」

漫才やってた頃は、結構すきだったんです。

冠番組の司会とかをやり始めた頃から、なんか苦手になりました。

なにがって、爆笑問題

田中は前からあまり好きじゃなかったんですが、太田も駄目になりました。

でも、NHKのこの番組は、番組自体が面白くて、けっこう見てます。

と云うか、ぼくはかなりのNHK freakなので。

いまのTVで観る価値があるのって、NHKくらいしか無いと思う。実際。

番組ごとであれば、まだ観ていられる番組も稀にはあるのですけど。←偉そう

太田の何が鬱陶しいって、とにかく喋りすぎ。

こっちは、教授たちの話が聴きたくて観てるわけですよ。

中途半端な素人は引っ込んでろと。黙って高説を聴いてろと。

そういう意味では、この番組での田中はまだマシだなぁ、と思ってしまうほど。

でも、今日の番組を観てて、ちょっと考えが変わりました。

前の、野矢茂樹氏の回でも、ん?と思ったりしていたのですけれど。

たぶんね、これって「同族嫌悪」。そして羨望と嫉妬。

太田って、この番組だと、すごく楽しそうなのです。

もう、いつもに増して喋る喋る。絡む絡む。突っ込む突っ込む。

特に、精神世界系の研究者が相手だと、tensionも上がりっぱ。

それを、うぜー、と感じていたわけです。

けど、もし自分も同じ状況だったら、と思うと、一緒だろうなぁ。

あそこまでは出来ないけど、いつもの数倍増しで高揚しっぱなしだと思う。

んで、太田はれっきとした芸人さんだから、話の引き出し方とか考えてるのが分かる。

ただ、芸風が芸風だから、どうしてもああいう感じになっちゃってるような。

まあ、素の部分もかなり大きい感じもするのですけれどね。

太田総理みたいに、わざと道化を演じてるようには見えない。

太田って、かなり頭は良いと思うのですよ。漫才のネタとか見てるとそう思う。

あれがcharacterではなく素なら、前言は完全に撤回しますが。

って書いてると、俺って頭良いんだぜーって言ってるみたいで馬鹿みたいだ。まあいいけど。

mentalityの部分が、太田とぼくとは似てるような気がしたのですよ。

で、番組の内容ですが。

ぼくの持論は、「天才というのは病気の一種」なので、なるほどなぁ、と思うことが多かったです。

やっぱ、発想が違うというのは、常識的ではあり得ないのですよね。

勿論、頭がいい人は、現実への対処も抜群に優れていることが多いと思うのです。

けれど、芸術家という括りになると、それも怪しい。

いわゆる「頭の良さ」と、芸術的な「senseの良さ」というのは違う気がするから。

人心の機微に敏感だと、出来ない表現というのも確実にあるわけで。

そこを「無視」するのではなくて、「気にしない」ことが出来るというのはデカい。

これって、似て非なるものですからね。確実に。

さらに言えば、「気にしない」どころか「気にもならない」。

これは嫌われますよね。当然のように。

そんな嫌悪感をも覆い隠すほどの魅力があるから、天才と呼ばれるわけで。

ちょっと自分語り入りますが、ぼくは、人付き合いというものが嫌いです。

苦手なのではなくて、嫌い。

そこに、価値を見出すことが難しい。

話をするのは好きだし、賢い人や面白い人と話すことは本当に楽しい。

けれど、それは最優先事項には成り得ない。ぼくにとっては。

だから、ある日突然世界が崩壊して、人間がぼく一人になっても、たぶん平気。

中二病みたいなこと言ってますが、けっこう本気で思ってます。

じゃなきゃ、これまでの人生は苦痛で仕方なかったと思うのです。

振り返ってみても、苦しかった記憶が無いから、そういうことなんだろうなぁと。

あと、

愛は負けるが親切は勝つ

これって、「仕事」の本質だなぁ、と感心しました。

愛じゃ仕事は出来ない。けど、親切を忘れた仕事は絶対に失敗する。