漂書

ぼちぼちと、ゆるゆると

MiAUの眼光紙背

livedoor newsの、眼光紙背で、MiAUの眼光紙背という連載が始まりました。 livedoor、やるなあ。 第一回を担当されたのは、白田秀彰氏です。 以後、MIAUの方々が持ち回りで記事を書かれるとのこと。 とても面白く、興味深い記事だと思います。
インターネットが社会基盤や産業基盤となると、現実世界においてもそれら知的財産権の影響力が増大していく。いまや知的財産権に関連した法は、憲法にも匹敵するほどの重要性を持つに至っている。ほとんどの人が気がつかないが。
この部分は、かなり重要と思います。特に、
ほとんどの人が気がつかないが。
という部分が、非常に恐ろしい部分だと個人的に思っていることです。 これまでのMediaは、push-modelでした。 一方のインターネットは、pull-modelです。 push-modelは、とても楽です。 向こうから勝手に情報を与えてくれるのですから。 その真偽はさておき、受け手は情報収集への様々なcostを軽減することが出来ます。 あとは、受け取った情報の価値を吟味し、取捨選別するだけで良かった。 pull-modelは、いろんな意味で大変です。 情報の所在から、自分で探し出さなくてはいけない。 そもそも、何を探すのかという所から考えなくてはならない。 情報を取得する際のcostは、かなり高いです。 ところが、ここに検索という手段があります。 一見、pull-modelに見えますが、その本質はpush-modelです。 検索する主体は自分ですが、結果の正当性は判別しきれない。 そこに何らかの意思が介在していたとしても、受け手には判別出来ない。 あるはずのものがないなら、そこにある欠落を認識することは出来ます。 けれど、あるというそのことを知ることが、いちばん難しいことです。 そのことが意味するのは、選ばされたということに気付けない可能性です。 知らないうちに選ばされている、ということ。 それは、意識誘導としては非常に強力で、とても有効な手段の一つです。 民主主義の本質というのは、つまりそういうことなんでしょうね。 それが悪いことだとは、まったく思いませんけれど。 要は、そこを支配している仕組みを理解し、いかに利用出来るか、ってことに尽きる。 非常に単純で、分かり易い構造だと思います。 だからこそ、殆どの人が気付いていないという現状が、とても恐いです。 気付いてもらえなければ、賛同を得ることは不可能。 賛同を得られなければ、その先に待っているものは敗北しかない。 それは、自由を失うということに他ならないのですよ。