だれが「音楽」を殺すのか?を読んで
先ほど、感想雑感に感想をアップしました。
一部、字数が多すぎて入りきらなかったので、こちらに書いておく事にします。
本書の中で個人的に衝撃だった部分は、脚注にあったこの部分です。
高橋氏は、ミュージック・マガジン誌で萩原健太氏と対談した時に、「JASRACは日本レコード協会の音源のアーカイブを全部持っていて、それを廃盤の音楽配信などに有効利用すればいいじゃないかとレコード会社に提案しているのに、肝心のレコード会社が耳を貸さない」と発言していた事があるがなんだそりゃー!と思いました。マジで。
Winnyが出てきた時に感じていたのは、これは凄い技術になるな、という事でした。
インターネットがもたらしたものは、情報costの大暴落と言われています。
確かにそれはその通りなのですが、一面に過ぎないと思っています。
Computerがもたらした最も大きな変化というのは、Archiveという概念。
人間の文化というのは、記録というものの進化過程なのではないかと考えています。
Computer以前の世界は、記録は物質的な制約に縛られるものでした。
それが、Computerの登場によって、Contentsそのものが保管出来るようになります。
この変化というのは、とても偉大なことです。地味ですけれど。
まず、経年劣化を殆ど完璧に防げること。複製が容易であること。
そして、検索が出来ること。
つまり、際限なくどんどん貯め込む事ができ、必要な時にパッと取り出せる。
これが出来るようになったのは、Computerの登場以降なのです。
Networkの発達によって、その可能性はさらに広がっています。
その中で現れたWinnyは、ぼくは"Digital Library"に成り得ると思っていたのです。
記録というのは、常に消失の危機と隣り合わせです。
それは、Digital Dataに置き換わっても根本的には回避出来ません。
記録媒体(CDやHDDなど)が破壊されたら終わりですから。
消失を回避するには、分散記録の他に方法は無いです。
そしてWinnyは、そのinfrastructureとして最強のものになり得る、と。
言ってみれば、非常に広範にわたって構築されたRAIDみたいな概念です。
インターネットというのは、こういう可能性が簡単に発生する土壌なのです。
そもそも、Web Siteというのは、まさに記録の宝庫なのですよ。
これほど多くの記録が、無作為に存在していたことはかつて無かったはずです。
しかもその殆どは、知りたい時にいつでも引っ張り出す事ができる。
このことの価値というのは、ちょっと計り知れないほど大きいです。
にも関わらず、情報を公開せず塩漬けにするということは、もはや罪だと思います。
確かに、公開するかどうかを決めるのは、著作者の権利です。
でもその権利を行使出来るのは、著作隣接権者であってはならないはず。
On-line配信などで、きちんと公開してくれるのなら、それが一番。
けれどその際、MP3などの圧縮音源で配信というのはどうかと思う。
CDという無圧縮音源を流通させないのだから、CD音源で配信して欲しいです。
歌詞やJacketなどの付属品もsetにする形で。
そこまでやって初めて、CDの代替になるんじゃないのかな、と思います。
儲からないのであれば、そこにcostを掛けることもbusinessである以上難しいでしょう。
ですから、著作隣接権者がDigital Data化するようなprocessを期待するのは難しいと思います。
けど、Winnyのような環境があるなら、複製権や送信可能可権は放棄するべきではないか。
勿論、収益を産み出しているものに関しては、放棄する理由はありません。
けれど廃盤にしちゃっているような音源に関しては、放棄しない理由が無いと思います。
あとは、音源を持っているListenerが勝手に公開してくれるでしょう。
そのようにしてLibraryに流れたら、然るべき機関がきっちりとarchiveしておく。
そしてそのdataを、常にDigital Libraryから消えないように管理する。
こんなSystemを構築すれば、Listenerの不満の大部分は解消されるんじゃないかと。
そもそもお金にならないから廃盤にしているのであれば、放棄したって変わらないはず。
著作権というのは、知れば知るほど奥が深いです。
だからこそ、いろんな側面から考えて、より良い方向を見定めないといけないのでしょうね。