漂書

ぼちぼちと、ゆるゆると

Cloud Computing

見逃してたー。危ない危ない。

グーグル、無限への挑戦 (BusinessWeek):NBonline(日経ビジネス オンライン)

今泉氏に感謝。

シリアルイノベーション > 「敵が模倣してきたらどうします?」 : ITmedia オルタナティブ・ブログ

これはネット関係者全員必読です。ネットに直接関わらないIT関係者も全員必読だと思います)
というのに完全に同意です。

それどころか、IT関係者以外の人も見ておいた方が良いと思います。

「次の世界」が明確に示されているからです。

Googleってのは化け物が集まった場所なんだなぁ、と改めて思います。

Cloud Computingは、最良の形であることは間違いない。

Computingの概念そのものを具現化したinfrastructureそのものです。

ただ、それを現実に稼働するのはとんでもなく難しい。

もう、嫌になるくらいに沢山の障壁が行く手を阻んでいるから。

それを、あっさりと現実のものにしてしまえるということが凄すぎる。

まず、そこには技術があるわけです。

その技術を使えば、理想とする環境を構築できる。

しかし技術だけでは、理想の実現はまず不可能。

何かを為すに当たっては、技術というのは些末な要素に過ぎない。

もちろん、限られた分野では、技術力が圧倒的な実行力に繋がる場合もあります。

けれど、対象が膨大な数である場合、技術では相手を納得させることが出来ない。

そこに必要なのは、例えば政治力であったり、資金力、軍事力、みたいな汎用の力。

そういう場においての技術は、それらを裏方で支える骨組みのようなものでしかない。

とはいえ、骨組みのない構造物というのは、根本的に有り得ないのですけれどね。

大衆の前に姿を現す際には、ちゃんと「お洒落」をしなくちゃ駄目なのです。

Googleが凄いのは、この「お洒落」にも全く手を抜いていないことです。

Computerは、自律した存在になっていく。

別にSFな話ではなくて、そういう方向に進むのが自然な帰結なのです。

人間がするまでもない、単純で面倒な作業をしてもらう存在がComputerなのですから。

そしてそういう存在を、個々人がmaintenanceして手間を掛けるのは本末転倒です。

Networkが発達していくのに比例して、手元にComputerを置いておく必要性は薄れていきます。

必要なのは、その情報を取得するための接続点、つまりUser-Interfaceだけです。

現に、Internetへ繋ぐ際に必要なのは、browserの画面しか無いはずです。

その裏側で動いている、気が遠くなるほど壮大なsystemについては、気にも留めていないはず。

これは、何もInternetに限った話ではないことは、簡単に理解できます。

例えば家電製品なんかは、何年も前からそういう形に変わっているわけです。

そしてその事に対して、利用者は何も感じていないのが普通。

それは危機的な状況などではなく、ただ洗練されていく過程に過ぎない。

Cloud Computingという概念の凄さは、かなり感覚的なものだと思います。

理屈で説明されても、ふーん、で終わってしまいそうな気がします。

けれど、これが現実に動き出したら、世界の情勢は一瞬で確定するでしょうね。

これからの世界は、確実に「個」を指向していきます。

「群」は固定化されたものではなく、かなり流動的な存在になっていく。

そして、「群」を形成する「個」は、同時に複数の「群」に所属するようになる。

そうなったとき、「日本」という「群」はどうなっているのだろう、と思うのです。

物理的な国家という概念が消滅するには、まだまだ時間が掛かるような気はします。

けれど、仮想的な世界においては、既存の「国家」は消滅しつつある。

国家が消えたとき、大きな枠として成立するのは「文化圏」。

そして、「文化圏」を決めるのが「ことば」ではないかな、と考えてます。

ぼくは、日本という国が好きなので、消えて欲しくないなー、と。

別にGoogleが支配者になっても、それだけでは危機的な状況にはならない、と思います。

やばいのは、Cloudを利用できないまま、UIの部分を押さえられてしまうことです。

そこを押さえられると、「日本ということば」の消失に直結するんじゃないかと。

みんな、もう少し「自分の国」を好きになろうぜー。

嫌いな人は、勝手に出てって良いからさー。