漂書

ぼちぼちと、ゆるゆると

ペーパーテストは公平なんかじゃない

痛快。素晴らしい切れ味です。拍手を贈りたいです。

本当に見事な記事だと思います。必見。白田氏はやっぱり凄い。

No. 16 教育制度批判 その前に | WIRED VISION

ペーパーテストというのは、理解度を測るには良いのかもしれません。

けど、評価軸としては欠陥品だとぼくも思います。

特に、「公平」だなんてとんでもない。

もう、この部分に完全に同意です。本当に素晴らしい。

私は人間の能力は、それぞれ多様であるべきだと思う。一方、我々が民主共和制を政治体制として選択している限りにおいて、その民主共和制を維持するための最低限の教育すなわち公民教育(洗脳・設定)を国民の義務とすることは必須だと考えている。しかし、その公民教育の達成度をもって、個人の全体的な能力や人格を判断することは、否定されなければならないとも考えている。それゆえ私は、「学校での成績なんて、世渡りになんの価値もない」という、昔の一般庶民の感性は、今のように「学歴が人間の全て」「収入が人間の価値」と信じ込んでいる状態よりも、健全なのではないかとすら思う。
もう、付け加える言葉が見つかりませんね。

今の学校教育は、効率化だけを図ったものになってしまったように思います。

まず何より大切なのは、「学ぶことは楽しいこと」を知って貰うことなはず。

理解度を測るためのアンケート的な用途でペーパーテストをするなら分かります。

けれど、そこで得られたもので能力を測ることは、ちょっと違うと思うのです。

人間の平等と公平は、可能な限り人間の評価軸が多様化し、相互比較が極めて困難になることによって、初めて達成されると考える。
というのは、本当にその通りで。

この短い言葉で真理をズバッと貫いていて、本当にすごいです。

人間社会が陥りやすい罠は沢山あります。

その中でも特に危険なのは、ある特定の価値観に拘泥してしまうことだと思います。

盲信、という状況に陥った人間が、どんな行為を取ってしまうのか。

過去の歴史を紐解けば、幾らでも事例が見つかるはずです。

正気とは到底思えないような、残虐で恐ろしい行為を、ヒトは繰り返してきています。

その背景にあるのは、常に特定の価値観に支配された、「規則正しい世界」。

そのような社会では、ペーパーテストは極めて効率の良い評価方法でしょう。

しかし、そのような社会が好ましいとは、ぼくは決して思えません。

いろんな人たちが、それぞれの価値観によって、それぞれの人生を謳歌出来る。

そういう世界こそが、理想郷であって欲しいと願います。

難しい時代ですね。いろいろと。

収束には、まだ当分かかるんだろうな。

とりあえず、「競争」が前提にある社会というのは、「正しい」とは思えないです。

「競争」が「悪い」とも思ってないのですけれどね。めんどくさいから説明しませんけど。

もっと穏やかで、あったかいのが良いな。うん。