漂書

ぼちぼちと、ゆるゆると

ふるさとMVNO(ふるさとケータイ事業)を考える

もう、この方向しかないのは事実。

こういう事に注力していかなきゃ、本当に日本は駄目になっていくしかない。

けどね、それをやる「主体」が問題。

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総務省がやったら駄目でしょう。地方は怒るべきです。

これからは、いかにして地方が独立していけるかに掛かっていると思います。

地方分権というのが、名目だけのものになってしまわないように。

中央には、その権力を手放すつもりがさらさらありません。

日本という国家が、「完全な中央集権」になれるのなら、それはそれで構わない。

けれどこの国には、中央集権というarchitectureは馴染まない、と思います。

江戸時代は、中央集権というarchitectureで運営していたわけでは無いです。

Information Technologyというのは、初めて地方が主導権を持てる手段だと思っています。

それを、易々と中央官庁に引き渡してしまうことは、愚挙の極みです。

技術力なんてのは、見よう見まねで弄ってる間に否応なく付いてくるものです。

必要なのは、未知への興味と可能性を信じる力だけのはず。

黙っていても中央が全て面倒を見てくれる。地方は万端整えてくれるのを待つだけ。

こういう体制というのは、それは確かに楽でしょう。

けど、お仕着せのものに収まっているだけでは、いつまでも「搾取される側」から抜け出せない。

むしろ、中央の持っている既得権を利用して、新しい体制を構築すべき時だと思います。

個々で立ち上がっても個別撃破されるだけだから、協力して事に当たるのが良策。

極めて効率的な統合が突き進んでいる現在、在野には才能が山のように放逐されていると思います。

「埋もれた才能」を見つけ出して登用できれば、日本にだってGoogleは生み出せる。

2015年くらいまでの期間が、最後の分水嶺になるような気がします。

頑張らなきゃね。