漂書

ぼちぼちと、ゆるゆると

ラジオの時間

三谷幸喜氏の映画の話ではないです。念のため。

学生の頃は、かなりのRadio好きでした。

出身が宮城なので、唯一の民放FM局であるDate FMを毎日のように聴いてました。

NHK-FMでは、MUSIC SQUAREを愛聴していました。

Radioを聴き始めたのは、当時の環境に依るものが大きかったです。

寮生活で、生活の大半を誰かと共有する生活でした。

その為、その誰かが部屋でradioを聴いていると、それは風景の一部だったのです。

そんな風景に身を置く中で、radioの魅力に気付いていったのでした。

けれど卒業して、気付けばradioからは離れた生活を送っていました。

理由はよく分かりません。いつからなのかも覚えていません。

近畿に引っ越して、しばらくの間はradioを聴いていました。

近畿圏のradio番組が、あまりに質が高くて驚いて感動したことをよく覚えています。

しかし、本当に、ふと気が付くと、生活の風景からradioの姿が消えていたのです。

そして今日、久しぶりにradioを聴いています。

生活の風景の一部として、radioから流れる「音」を据えています。

なんというか、とても懐かしい気分です。

そうそう、こんな感じで一日が過ぎていったんだったな、と。

番組も、あの頃からそれほど大きくは変わっていませんでした。

Radioというのは、やっぱり素敵なmediaだな、と思います。

落ち着いた佇まいと、独特の文化がしっかりと根付いています。

流れてくる曲も、hit chart一辺倒ではありません。

かつてはradioから多くの音楽を知り、音楽嗜好の幅が一気に広がったものでした。

その時のワクワク感を、久しぶりに思い出しました。

また、Disc jockeyの喋りも素晴らしいです。

喋りだけで勝負することが明確なので、気合いの入り方が根本から違います。

聞き取りやすく、耳に心地良い喋りは、流石の一言に尽きます。

声優さんたちとも違う、とても綺麗な「声」の魅力が存分に発揮されています。

思えば、ぼくが声フェチになった切っ掛けもradioでした。

Radioが流れている風景は、なんとも穏やかで、ゆったりとした時間が流れている気がします。

Radioを背景にして、本の頁を繰っていると、気持ちがゆっくりとほどけていく気がします。

世間から、壁一つを挟んで隔てられたような、そんな感覚すら覚えます。

気付かないうちに絡み付いた様々なしがらみから、抜け出せた気がしました。

Radioというのは、なんとも自由で開放的なmediaなんだなと改めて思いました。

聴き手への強制力が、もう驚くほどに存在しないのです。

眼ではなく、耳へのapproachというのは、かなり素敵なものだと思います。

TVも嫌いではないのですけど、radioと比べると、その強制力が鼻につきます。

おかえりなさい、が聞こえた気がする、というのは、さすがにsentimentalに過ぎるでしょうか。

それもまた良いでしょう。たぶん、ぼくの本質はロマンチストなのですから。

もう一度、風景にradioがある生活に戻ってみよう、と思いました。