漂書

ぼちぼちと、ゆるゆると

webって、ほんとに2.0になってたのかな

Web2.0というのは、Tim O'reilly氏のmarketingじゃなかったのかな。

いつの間にmajor versionが上がるような変化が起きたのかなー。

と嫌みったらしく始めてみました。や、分かるんですよ。分かってはいるのです。

その上で、あえて問題提起というか、言葉遊びというか。

切っ掛けはこの記事。

ウェブ3.0と黒川紀章:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan

良い記事だと思います。分かりやすいし、纏まってるし。

けど、3.0ってなんやねん、と。

先日、ログピを始めました。

その出来具合の素晴らしさに記事も書きました。

それまでtwitterをやってなかったので、ログピライフログ初体験でした。

ここ数週間使っていて、これが集大成なのかもしれないな、という感じを受けてます。

Webというのは、その名が示すように、蜘蛛の巣のように張り巡らされたarchitectureを持ちます。

どこかの点はその隣の点と繋がり、その点はまたその隣の点と繋がる。

これを延々と繰り返していくというdesignになっているわけです。

このarchitectureは、TCP/IPEthernetと言った下位layerにおいても全く同じです。

驚くべき事に、物理層に至っても、このarchitectureは崩れない。

けれど、これまでのWebというのは、本質的な意味では繋がっていなかったように思います。

結構あちこちに散逸していて、それぞれで独自に寄り集まっていたような感覚。

しかし、ライフログというserviceは、その「繋ぎ目」となり得るだけのpotentialを持っている。

ログピを使っている中で、そんな風に感じたのです。

まあ、twitterの隆盛を見れば、それは言わずもがなな事ではあるのですけれど。

で、ログピのサイト設計は、その立場から見ると本当に素晴らしいです。

だがより明確に、わかりやすくひとことで言いきってしまえば、こういうことだ--「自分自身による、情報の再集約」。
これが、「次」のtrendになることは疑いようがないでしょう。

というよりも、それはすでに「いま」のtrendになっているのかもしれません。

人間という生き物は、定義の一つとして「分類する生き物」と言えると思います。

あらゆるものをlabelingし、何かの「群」として捉える。

これは、言葉による行動原理から来る行動の一種なのかな、なんて考えてます。

そして、Webという媒体も、ついにその段階が迎えられるほど成熟してきたのか、と。

それを3.0と表現するのは、ちょっとnonsenseじゃないかなー、と感じるのですよ。

ぼくは、Computingの理想型は「自律分散」しか有り得ない、とずっと考えています。

もちろん、完全なる親子関係によって統制の取れた運用形態も無いわけではありません。

けど、その形態は、現状の社会を前提にした時には難しいのではないかと思うのです。

大きな物語」が終演し、個々が個々として活動することが許された社会。

その社会を模倣する方法としては、自律分散しかあり得ない。

逆に反動による逃避先として、親子関係による統制があり得ますけれど、それは嫌だなー。

引用の引用になりますが、黒川氏のこの考えが、本当に達見です。

自分のもつ個性的な情報の代価として物々交換で手に入れるより他にないだろうと思う。そのとき、いつでもどこでも、自分の望むときに発信し、受信し、フィードバックする能力を持ったカプセルは、大きな有効性を発揮するであろう。
これを純粋化したのがOSSだって事は言うまでもないですね。

しかし、「持たざるもの」をどうやって救済していくのか。

物々交換の際には、その部分が問題になってきます。

そこをfollowするのが、ライフログというservice形態だと思うのです。

言葉を紡ぐことは、人間としての基本技能の一つだと思います。

日々の言葉を紡ぐことによって、それは確実に「生産物」となっていきます。

人は、その存在そのものが個性的であり、希少で価値のあるものなのです。

自分では詰まらないと思っていても、誰かにとって素晴らしいinspirationとなり得るかもしれない。

それが、世界の面白さであり、人間という生物の果てしない可能性だと思います。

これを「物々交換」することが、極めて少ないcostで可能になっていく。

それは、「通信(communication)」の理想型そのものなのではないかと思います。

もちろん、障害のために現在のserviceを利用出来ない人も大勢います。

しかし、彼らが利用出来ないのは、あくまでもUiが未熟なために過ぎません。

Technologyの発展によって、敷居はこれからも下がり続けます。

そしていつの日か、全ての人に門戸は開かれる。それは遠い日の事では無いはずです。

ぼくは、IT(Network)は世界を変えると本気で信じていますから。

前にも書きましたけど、ITの本質は建設業です。

黒川氏と同じ結論に辿り着くのは、ある意味では必然、なのかもしれませんね。