漂書

ぼちぼちと、ゆるゆると

次に来るもの

人間は本能的に情報を求める生物なので、とにかくいろんな事を知りたがる。

いかにして効率よく情報を収集するか、というのは、人間の歴史そのものでもある。

そのために、多くの情報を集め、効率よく選別するためのsystemを組んできた。

情報は、その専門性や理解に必須となる前提知識などによって、いくつかの段階に分類される。

広く浅くの総合的な情報を担当してたのが大手新聞。

次に来るのが雑誌。雑誌は発行間隔の長さが専門性の高さに比例する。

専門性が高くなるほど部数は減るため、間隔を長くして単価を上げざるを得ない。

一方、間隔を長くすることで収集量も増えるので、専門性も上げられる。

新聞も含め、まあ、よく出来た仕組みと言える。

これは、それぞれのmediaが生き残るための戦略でもあるので、市場原理が有効に働いているとも言える。

そして言うまでもなく、これらの構造を破壊したのがInternet。

Internetの登場と浸透によって、流通する情報は爆発的に増えた。

これを情報爆発なんていう表現をしたりする。

まさに、これまでは整理され、制御されてきた情報が、一気に爆発したような感じ。

さらに情報発信のcostが暴落したため、これまでは流通していなかった情報も流れ始めた。

また、その溢れている情報から、ピンポイントで必要な情報を引き出す事も可能になっている。

Internetはその柔軟な体質を活かして、これまでに無かったような情報を産み出してもいる。

情報はcategorizeの枠を簡単に乗り越えて、世界中の彼方此方に散らばり始めている。

ここで問題になるのは、収集して制御することの価値があやふやになってしまったことだと思う。

専門分野の細分化が進み、細分化された分野はどんどん先鋭的になっていく。

その情報を必要とする受信者も減っている上に、求めている情報を探すのも大変になっていく。

つまり、新聞や雑誌や書籍といった既存のmediaは、収集し組み上げたcostを回収できなくなってきている。

結果、業界の淘汰が進み、統廃合が繰り返され、一握りの巨人しか残らない。

まあ、この辺に関しては、すでに散々言われている事なので、今更感がすごいけど。

ただ、本当にそれで良いのか?という疑問も感じてる。

Internetって、本当に、そんなに良いものなのかな?

いや、こういった流れは間違いなく素晴らしいことだし、良いことだと思ってる。

けれど、そういったことと、既存のmediaが消えてしまうことは、同じ面では無いんじゃなかろうか。

新聞や雑誌や書籍といった分類と同じように、Internetというのは一つのmediaに過ぎない。

しかし、Internet以外のmediaは、costを回収出来ない以上、消えていくしかない。

言うなれば、Internetは「紙」になるのかな、と思う。

これから起こるのは、爆発した情報流通を整理する流れだろうと思う。

現在でも、すでに新聞から専門書の流れのように、HUBとなるsiteが幾つも出て来てる。

既存のmediaが、その場を紙からInternetへと移すしかないのだろう、と思う。

そこで成立して行くであろう構図は、すでに大枠の部分では組み上がりつつある。

しかし、受信者側の構図は、これまでとは大きく異なる。

受け取るためのcostも激減しているため、HUBに接続する必要が無くなってきている。

となると、これまでは限られたHUBに大勢が接続することで成り立ってきた収益構造が崩れることになる。

また、情報発信側に於いても、情報を生み出す存在をどうやって確保するかという問題が出てくる。

かといって、狭い分野に情報に特化してしまうと、一定数の受信者を確保することが出来なくなる。

そういうloopに入り込んでしまったmediaが何処に行き着くかは、今の民放を見てれば想像が付く。

そうなると、ある一定の深度以上の情報は、これまで以上に手に入り難くなるのではないか。

もちろん、そういう深い情報を、個人的な趣味として発信してくれるような存在もたくさん出てくるだろう。

しかし、今度はそれらの情報に辿り着く術が無くなってしまうのではないか。

Keyword searchで引っかかりはするだろうけど、それ以外の似たような情報に埋もれる可能性の方が高い。

求めている情報を確実に引っ張り出せるような仕組みは、残念ながらまだ出て来ていない。

そういう手段を、googleなんかが必死で開発してるんだろう、なんてのは想像に難くない。

自律してcrawlし、求めている情報を収集してくれるようなagent。

収集する基準となるのはkeywordのような静的なものではなく、もっと動的で有機的なものになるはず。

例えば、個々人の好みをbaseにした独自の判断基準を持って、情報の海を回遊するのだろう。

なんて想像したりする。

例えば10年後の世界。さらには50年後の世界。

どんなことが起こっているのかを想像してみる。

そこで起こっていて欲しいことは何か。

それを実現するために、いま、何が必要なのか。

そういう風に考えていくことが、大事なんじゃないかなー、と思う。