漂書

ぼちぼちと、ゆるゆると

「映画版 ハゲタカ」感想

面白かったです。

まずはその一言。

TVでのdramaを夢中になって観ていた時の気持ちを思い出しました。

ここから核心に触れちゃうので続きで。

あ、その前に一つ。

毎月書いてた「○月に読んだ本」なのですけど、意味ない気がしてきたのでやめようかなと。

結果、こっちのblogは更新頻度がさらに落ちると思うのですけど、まあ仕方ないですね。

日常的な諸々はlogpiに書いちゃってるしなー。

こちらは、旅行記や長文で書いておきたいこと、あとtrackbackを打ちたいときに使おうかなと。

その他には、今回みたいに映画とかTV番組なんかの感想とかを書こうと思います。

正直ネタがないのであります。はははのは。

さて、というわけで気を取り直して映画の感想に戻ります。

まずは作品全体の感想から。

TV版と同じstaffによる制作ということで、作品のtasteはきっちりと踏襲。

あの、ビリビリと震えるような緊張感は健在でした。

役者さんたちの演技もさすがの貫禄で、ぐいぐい物語に引き込まれました。

Pamphletから、高良健吾氏に大友啓史監督が語ったという言葉を引用します。

カット割りは決めません。僕らは役者の芝居を撮っていくんですよ。役者が動くとおりに僕らは撮っていきますからね
なるほどなあ、と思わず納得しました。

だからこそ、あのようにとてもdynamicなsceneになっているのか、と。

こう、定石的な構図ではなく、役者の演技が最も映える視点を切り取っている感じ。

や、映像関連についても素人なので、的外れなこと言ってるかもしれないですけど。

でも、観ていて、熱気というか、空気感みたいなものがビンビン伝わってたと感じます。

次は作品の中身について。

なんと言っても、要所要所で出てきたTV版との繋がりに、ニヤリとさせてもらいました。

特に、「腐ったアメリカを買いたたく」には、ゾクゾクッとさせられました。

それでいて、TV版とは確実に一味違う作品に仕上がっていたのが見事。

登場人物たちのpersonalityは不変でありながらも、歳月が刻んだであろう差異はきっちり匂わせる。

役者さんたちのlevelの高さ、ということなのでしょうね。

Castingの妙も健在でした。

TV版からの方々はもちろん、新登場の方々の存在感も素晴らしかったです。

そして、なんと言っても秀逸だったのが脚本でしょう。

TV版もそうでしたが、fantasy的要素とrealismとの兼ね合いが素晴らしい。

現実に起こった事件を巧妙に組み入れ、物語にかなりの厚みを持たせていたように思います。

「荒唐無稽」と言われるギリギリのlineで踏み止まっている感じ。

大ボラ一歩手前の大風呂敷の上に、硬派で骨太な映像や演技が構築される。

そこから出来上がったものは、極上のentertainmentとして観客の前に提示される。

つまり、土台となる脚本が、その上にある全ての要素をガッチリと支えているのだと思います。

脚本をきっちりと理解し、映像で表現させている監督の手腕が見事なのは言うまでもありません。

企業のmodelは多分トヨタだと思います。

まあ、あまり事業そのものには触れてはいませんでしたけど。

派遣工の問題とか、かつての憧れだとか、まあそういう部分。

でも、トヨタというmodelを離れ、自動車会社の本質に迫る台詞がありました。

それは、芝野が古谷に言い放つこの台詞です。

会社は生き物だから夢と希望が必要なんだ
この台詞において、主語は「会社」となっています。

その通り、すべての会社には夢と希望が必要だと思います。

そして、それを最も必要としているのが、自動車会社だと思うのです。

今時、クルマに夢や希望を見出す消費者は少ないのかもしれません。

けれど、クルマという「もの」は、ただの「商品」であってはならないと思うのです。

日本の自動車会社は、それを忘れてしまっているように思います。

エコ替え」なんてその最たるものではないかと思うのですよ。

そこに夢や希望があるのでしょうか?極めて後ろ向きな提言ではないでしょうか?

念のため言っておきますが、Hybrid-Carが「未来」ではないという意味ではありません。

そうではなく、例えばstyleやdesignに、これに乗ってみたい!という衝動を感じますか?

クルマを、ただの「足」としてしか捉えることが出来ない人が増えていることは確かです。

しかし、それを増やしてきたのは、他でもない自動車会社たち自身です。

クルマには、運転する喜びや愉悦というものが確実にあります。

しかし、それらは意識していなければ、具現することは難しい種類のものです。

また、それらを主軸に据えた製品は、sales的にはあまり大きな部分を占めません。

けれど、それが根底にないクルマばかりを作り続けていると、最後には失われてしまいます。

運転することの楽しみを知らない人が作ったクルマが、楽しいクルマになるはずがない。

それらを無視し続けてきたのが、自動車会社たち自身だと思うのです。

Makerは、消費者に迎合してはいけないと思います。

消費者に迎合し、消費者に阿るだけのmakerは、最後には消費者の奴隷になる道しかありません。

映画とは関係ないとこで熱く語ってしまいました。反省はしません。

「分かりやすい娯楽作品」ではありません。

いろいろな部分を、あえて「省略」している表現も、あちこちで見受けられました。

これは、TV版でもそうでした。

だからこそ、見終わった観客の心に、深い余韻が残るのだと思います。

作品の主題となっているものと併せて、様々なことを考えさせられる作品だと思います。