2011年を振り返って
今年は、本当に激動の年だったと思う。
いまや言うに及ばない、東日本大震災の年。
個人的にも、いろいろと激動の年だった。
そんな2011年の記録として、すごい久しぶりにblogを投稿してみる。
まず、去年からの継続で、3月まで大きいプロジェクトに関わらせてもらった。
これは本当に良い経験を積ませてもらって、かなりの成長に繋がったと実感している。
たぶん、何年経っても思い出すような、そんな種類のプロジェクトだった。
そして、プロジェクトのクローズに向けての追い込み時期、その真っ最中に起こった震災。
あの当時に何をしていたのか、記憶にない。
仕事的に、まったく余裕はなかったはずなのに、仕事が手に付かなかったことだけは覚えてる。
切り替えて仕事をしなければ、という焦燥感は、いま思い返しても冷や汗が出そう。
うちには、震災直後は連絡が付いて、その時点で安否確認が取れたので、まだマシだった。
これが、まったく連絡の付かないままだったら、ほんと仕事どころじゃなかっただろう。
とはいえ、地元の惨状が連日伝えられるなか、平静でいるのは、さすがに難しかった。
少しでも地元の力になれないかと、ヤキモキする日々が続いたように思う。
プロジェクトの終わりが見えて、ようやく実家の様子を見に帰れる、と思っていたところに入ってきた、次の案件。
これが、13年の社会人生活で、もっとも最悪のプロジェクトになった。
始めに挙げたプロジェクトとはまったく正反対の意味で、これも忘れることのないであろうプロジェクト。
このプロジェクトが、会社のあまりに酷すぎる対応のせいで、どんどん泥沼に嵌まっていく。
結局、約半年に渡って関わることになるのだけど、この期間の記憶が、仕事に関するものしかない。
それも、楽しさなんて皆無で、達成感なんかも殆ど味わっていない、まさに苦役という記憶。
現場は、睡眠時間が殆ど取れない環境であるため、本当にしんどかった。
でも、関係者の人たちが親身になってくれたりして、精神的にはまだマシだった。
その気力を叩き潰してくれたのは、会社の対応だった。
あり得ない対応を連発され、フォローどころか、希望の芽を悉く摘み取ってくれた。
そしてしまいには、味方だった関係者の人たちが離れ、その代わりの人が敵に変わってしまった。
そんな阿鼻叫喚の渦中まっただ中で、もうこれは耐えられんなと確信し、転職を考えるようになった。
そして、地元へ一回も帰省できていないことも、これは違うんじゃないかと考えるようになった。
昔から、いつかは宮城に帰ろうかな、という漠然とした思いはあった。
それが、震災を機に、出来れば帰りたいという気持ちへと変わっていった。
転職活動を進めるなかで、仙台で募集を掛けている会社があったことが、その気持ちに拍車を掛けた。
こんな未曾有の大災害への復興支援で、もっとも重要なのは「継続性」だと思う。
もちろん、本当に大事なのは速度であり、いかに早く支援体制が確立できるかでその後の安定性は決まる。
今回災害における政府の対応は、あまりに遅きに失した部分が多すぎた。
その結果が、この年の瀬にいたっても、まだ何一つ目処すら立っていないという状況へと繋がっている。
しかし、それは政府が行うべき重要な責務であって、個人がどうこう出来るものではない。
一方、日本各地や世界中からの支援によって、復興の下支えがしっかりと為されたのは本当に素晴らしかった。
政府対応の杜撰さを、かなりのところまでフォローできたのだろうと思う。
勿論、福島原発関連とか、そういう一般の人たちではどうしようもないのは無理であるにしても。
話を戻す。
個人で、何が支援になるのだろう、と考えたとき、地元に帰るのが一番いいのではないか、という結論になった。
継続性という見地において、「住む」というのは、とても良い選択肢になり得る。
住むことで、生活に必要なものを日常的に購入することが、経済的な支援となっていく。
そして、その場所で住民税を納めることが、自治体が進める復興策を支援していく。
勿論、個人の消費や納税なんて、とてもちっぽけな金額にしかならない。
しかし、今後数年から数十年にかけての支援という意味では、決して小さいものではないと思う。
もう一つ、親の近くに住んでいることが、精神的な安定に繋がるというのも大きいと思った。
今回の震災で、最初に安否の確認が取れていたとは言え、その後、しばらく連絡が取れなかった。
ライフラインの断絶が続くなかで、大丈夫なのだろうかと、連絡の取れない間、ずっと心配だった。
自分が近くにいて、それで何かが変わる、ということは無いと思う。
それでも、近くにいて、何かあったときに様子を見に行けるというのは、やっぱり大きいのかなと思う。
無事、希望通り転職が決まり、10月末に宮城県へと戻ってきた。
しかし、沿岸地域や福島県で被災した方々が引っ越してきているため、住居がなかなか見つからなかった。
空いている物件は幾つかあるのだけど、希望のものが見つからず難航。
それでも何とか空いている物件を見つけ、無事に引っ越しを済ませた。
この状況が落ち着いてから、改めて希望の物件を探そうと思う。
11月から新しい職場で仕事を始め、もう2ヶ月が経った。
すぐに案件へとアサインしてもらって、忙しい日々が続いている。
4月からの日々のなかで、楽しかったのはliveの数々だった。
Contrary Paradeやwinnie、NUDGE'EM ALLなど、素晴らしい音楽の数々に、本当に助けられた。
宮城に引っ越してきて、特にコンパレのliveに行く機会は少なくなってしまう。
けれど、東京のliveなど、今後もできる限り、彼女たちのliveを見に行きたいなと思っている。
忙殺されていて、小説などの書籍があまり読めない一年でもあった。
来年は、今年ほど忙し一年ではないと思いたいので、本も沢山読めると良いなと思う。
以上、ガキの使いSPを観ながらなので、まとまりのない文章になってしまいました。
お読み頂いた方に感謝。
今年は、このblogと感想雑感の方も、もっと更新していきたいなと思います。
相変わらずの拙い文章ではありますが、お付き合いの程、お願い致します。
それでは、ちょっと早いですが、良いお年を!